人間のからだの約60%を占める、水──。
どんな人の生活にも欠かせないものであり、水を飲まずして生きられる人はひとりもいません。私たちは、生活の至るところで水と関わり合って生きています。
足柄聖河と同じ水源の地域で暮らす人たちの、「水をめぐる話」を伺うこのインタビュー。水との関わりから、その人の生き方や考え方の片鱗を探ります。
今回お話を伺ったのは、大井町で鰻・そばが自慢の食事処「山本屋」を営む山本祥二さん。足柄の大自然の中で生まれ育った山本さんは、これまで40年以上、料理人としての道を歩み続けています。
山本さんの、人生のお話。そこには、暮らしや仕事に自然と溶け込んでいる「水」の存在がありました。
「自分のお店を開くこと」は、30代からの夢だった
足柄上郡、大井町。
山や川や広い空、そして雄大で美しい富士山が望める自然豊かな町。田園風景の広がる道を進んだ住宅街の一角に「山本屋」はあります。


「店を始めたのは13年前。大井町が地元で、いつかこの場所で店を開こうって決めてました。娘と息子が社会人になって自立したタイミングで、そろそろかなと思って」
山本屋は、店主である祥二さんと妻の富美子さんがおふたりで営んでいる食事処です。箱根や小田原で料理人としての経験を積んでいた祥二さんは、30代の頃、いつかは自分のお店を開きたいと思うようになったのだそう。
お店を始める時に「鰻とそば」を選んだのは、近くにそれらが食べられるお店がほとんどなかったから。町の状況や雰囲気を自分の目で確かめながら決めたという山本さんのお話からは、「町の人たちにとって必要な店でありたい」という、地元に対する愛情が感じられます。

こだわりの「そばつゆ」には、おいしい水が欠かせない
山本屋の一押しは、お店の看板にも書かれているように鰻とそば。中でも「そばつゆ」に対するこだわりは人一倍だ、と山本さんは言います。
鰹や鯖などの厚削り節から、90分かけてじっくり出汁をとる。そば専用の醤油に上白糖を入れて火にかけ、みりんを加え冷ました「返し」を、その出汁と混ぜあわせます。
出汁をとるお水にも、特別なこだわりがあるのだそう。
「この土地の水はそのままでも十分においしいけど、さらにおいしくするために、前日に大きい寸胴に水を20リットル溜めて、そこに備長炭を入れて約12時間置いておくんですよ。そうすると水がもっとまろやかになる」
そうやって作られたそばつゆには、製麺所と何度も打ち合わせを重ねて決めた、山本屋のつゆと相性のいいそばを合わせます。出汁がしっかり絡むように、そば殻が残っていない白いコシのあるそばを選んでいるとのこと。
名物「あしがらそば・金太郎そば」は、そばの上に温泉卵やなめこ、もみじおろしやとろろ、ネギなどがたっぷり乗っている人気の一品。細めのそばがつゆとよく絡み、さっぱりとした具材が、そばつゆのコクのある甘みをさらに引き立てます。

おいしい水があることは、ずっと「あたりまえ」だった。
そばはもちろん、どんな料理にも水の存在は欠かすことができません。料理人として、そしてひとりの生活者として、山本さんはこれまで水とどう向き合ってこられたのでしょうか。
「おいしい水があることは、自分にとっては“普通”のことだからなあ」。
足柄に生まれ育ち、大人になってからも箱根などの水がきれいな場所に住み続けていた山本さんにとって、水がおいしいのは「あたりまえ」のこと。もちろん、そばつゆのように料理に使う水はさらなるおいしさを追求しますが、生活では特段意識することはないのだ、と言います。

「でもね、水が違うとすぐにわかりますよ」。
意識することはないとはいえ、違和感に対してはすぐに気づくという山本さん。違う地域の水に対する違和感はもちろん、普段食べているお米についても、繊細な「水の違い」に気づくのだそう。
「うちは、お店でも家でも、地元の方が作っているお米を使っているんですよ。足柄のお米は足柄の水で炊くとすごくおいしいんだけど、違う水を使うと、水と合ってないみたいでまずくなってしまう。どんだけおいしいお米でも、水が違うとダメなんだね」
おいしいお水を「あたりまえ」に大切にしているがゆえの、違和感に対する敏感さ。そこには、長年の仕事と暮らしに裏打ちされた、山本さんの水に対するたしかな意識を感じました。
「びん」から思う、「時代が巡っていくこと」
取材中に足柄聖河の水を出すと、「びんだと、昔に戻ったみたいだよね」と山本さんがぽつり。
「昔はみんなびんだったからね。自分が10代の頃は、牛乳もびんだったし、調味料も一升びんに入ってた。今はなんでもかんでもペットボトルが主流だけど、これからまたびんが求められ、必要になっていくっていうのはおもしろいですね」

日本には100年以上も昔から、一升びんやビールびん、牛乳びんといったリターナブルびんの歴史があります。「ものを大切にし、資源を有効に利用する」という精神のもとに、びんの循環システムは守られていました。
ですが、ペットボトルや紙、缶など他のパッケージへの代替が増え、昔よりも見る機会は少なくなっています。今、ふたたび「びん」を普及しようとしている足柄聖河の取り組みを、山本さんはいち生活者としておもしろいと思ってくださったようです。
「本当はびんの方が使いやすいんだけどね。一升びんで調味料を入れる感覚、好きだったんですよ。昭和の頃はまだびんが主流だったからすごく馴染みがあって。コーラも自動販売機で買うとびんだった。びんで飲むと、なぜかおいしいんだよね」
そして、びんのお水を、一口こくり。
「普通においしいね」というその言葉は、山本さんに言われると、最高の褒め言葉のように思えました。

自然と暮らしの未来を、守るために。
「自分たちが小学校の頃は、酒匂(さかわ)川に、鮎とかいろんな魚がうんと泳いでいたんですよ。だいたい夏になると海中パンツをはいて銛(もり)と水中眼鏡を持って川に行って、鮎を突いてその場で焼いて食べたりね」
「他にもね、このあたりには梨畑があったから、農家のおじさんに梨をもらってよく食べた。梨をもらったら、川の中に石で囲いを作って、そこで冷やして食べたもんよ」
取材中に山本さんが話してくれた、足柄での幼少期の話がとても印象に残っています。
今はもうあまり見られなくなった、自然とともに生きていた時代のかけらたち。「おいしいお水が普通」だと言える日常の素晴らしさを、取り戻し、守っていくためにできること──。
山本さんの昔の話には、私たちがこれから未来で見たい景色が、たっぷりと詰まっていました。

文・あかしゆか 写真・藤原慶